震災から4年、それからあの場所はどうなっているのか。

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東日本大震災からはや4年が経過しました。当時はこれだけ情報網が発達し、即座に伝達・拡散するツールがあったにもかかわらず、東日本で一体何が起きたのかわからないというのが正直痛感させられました。人間が作ったシステムは見事にもろく崩れ去り、携帯・スマホ・ネットに関しては全く機能しないという現実にただただ愕然としました。さてそんな中あの場所は一体どうなったのか早速ご覧いただきたい。



―311から変わったもの

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ご存知の方は多いかと思いますが、あの船が上陸していたり大量の瓦礫がおいてあったりという情況は既になくなっており、殆ど当時の面影はなくなり、整備が進められております。それだけでなく住宅などは嵩上げをしてより津波に対応出来るような対策がとられております。

写真のジェットコースターのように見えるものはアトラクションではなくベルトコンベアで、土を山から運び嵩上げをしているところです。


―311から残されたもの

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43人が犠牲になった宮城県南三陸町の防災対策庁舎は県が町に代わって2031年3月まで管理・保存する方針。しかしこの鉄骨をいつまで補強するのか、その予算などは納得いくものなのか。それぞれの問題がまだ山積である。

このほかにも保存する方針の建物はいくつもある。

―311から変わっていないもの

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実は変わっていないものもあります。閖上地区などでは瓦礫の撤去はおわったものの、再びこの地に住むことがいろいろな理由で難しくなってしまい、荒野となっております。かつてこの地域には普通に家屋がありました。

嵩上げをしなければならないという方針があるにもかかわらず、その費用などをどうするかなど問題がからみご覧の通り。

とはいえ二度とここに住みたくないという思惑もある方もいるようです。

その間にも土地は無常にも「風化」していくのです。
ただし人の思いは風化させたくないものですね。

(秒刊ライター:ユカワ)

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