丸いキューリはかぼちゃだよ。30年前の生徒との思い出!

yasai
こんにちは。秒刊サンデーのライター”わらびもち”です。今日は、私が中学校で数学の講師をしていた時のことを書いてみたいと思います。30年も前のことになります。生徒が、「先生、丸いキューリあったよ。」と言ってきたのです。「えっ?」と言いながら、私には思い当たることがありました。私が返事をする前に、生徒は私の目の前に”丸いキューリ”を差し出しました。あぁやっぱり。生徒が差し出したのは”キューリ”ではなくて”かぼちゃ”でした。



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30年前、私は、とある中学校で数学の講師をしていました。講師なのだから授業の時間だけ出勤すればよいのに、私は朝出勤して夕方退勤していました。授業をしても、授業以外で生徒と活動しても楽しかったので、学校にいる時間も自然と長くなりました。。生徒が持ってきた”丸いキューリ”は、校地内の畑から採ってきたものでした。その畑は授業の一環で準備されたもので、キューリやトマトが植えられていました。

キューリは接ぎ木した苗を植えると丈夫に育ちます。その年に植えたキューリは、かぼちゃに接ぎ木したものでした。本来はかぼちゃの葉が出てきたら取り除くのですが、プロではない私たちは忘れてしまっていました。かぼちゃは気付かれることなく生徒のこぶし位の大きさにまで育ってしまい、それを生徒が見つけて私のところまで持ってきたのでした。

2人の生徒が寄って来て、「先生、私たち草と間違えてヒマワリの苗を抜いちゃった。」と私に言ってきました。私は驚いてしまって、「どうしてそんなことしたの?」と尋ねると、「テニスコートの周りに草がいっぱい生えていたので、草を取ろうと思って抜いたの。でも、どうしてこんなにいっぱい同じ草が生えているのだろうと思って周りを見ると、その草は1列にきれいに並んで植えられていたの。それでヒマワリだということに気付いたんだ。あわてて元に戻したけどダメだったの。」と教えてくれました。

私は、「先生なんてなんでもわかっているんだよ。」という顔をしながら、実はそれほどたくさんの知識をもっているわけではありませんでした。キューリの雌花と雄花をどのようにして見分けるのかさえ知りませんでした。教えてくれた人に、「大学まで行っていてそんなことも知らないの?」と言われるほどでした。知ったかぶりをしていても、私ってこんなことも知らなかったんだなぁと思いました。畑の作業を通して私も生徒と一緒に成長させてもらいました。

授業用の畑とは別に、もうひとつ小さい畑がありました。授業用ではないので、作ってみたいという何人かの生徒と土おこしから始めなければなりませんでした。人参や大根、かぶ、スイカなどの種や苗を植えて育てました。生徒は、毎日放課後になると畑の様子を見に行きました。人参の芽がたくさん出てきたのでみんなで間引きをしました。少し大きくなってから間引きをした人参は水洗いをしてパクリ。人参のおいしさに味をしめた生徒は、毎日間引きに行こうと言います。もう間引きの必要はないのに。

放課後は少しでも早く下校したいはずなのに、生徒はなぜか集まってきます。生徒がそこに求めていたものは単に人参を食べることではなく仲間との触れ合いだったと思うのです。仲間と土おこしで泥だらけになったり、人参を間引きして食べたりということがたまらなく楽しく、心を豊かにしてくれると感じていたのではないでしょうか。

講師をやめて高校の教師になった時、クラスの生徒と校地内に夕顔の苗を植えて育てました。収穫したときには、生まれたての赤ちゃんくらいの大きさと重さがありました。みんなで皮をむき陰干しにしてかんぴょうを作りました。包丁を上手に使う生徒、全く使えない生徒。みんなでワイワイ言いながら作り、出来上がったかんぴょうは仲良く分けました。

畑での経験、かんぴょうを作った経験。どちらもその経過の中でたっぷりと生徒と交流することができました。そして信頼関係も深めることができました。信頼関係ができていると普段の会話や相談事にも深味がでてきます。生徒と信頼関係を深めておくということはとても重要なことであると考えています。教師という仕事は本当に大変です。自分の時間は削ってでも仕事をしなければならないときがあります。

教師ってそういうものだと考えていますが、その考え方は変化してきているように思われます。教師だって自分の時間が大切。でも、生徒のこれから先の人生は、教師のこれから先の人生より長い。とすれば、未来ある生徒のために自分の時間を少し使ってあげても良いのではないかと思うのです。生徒との間に絆ができているかどうかなんて目に見えるものではありません。何かの瞬間に、「あぁこんな絆が出来ていたんだなぁ」と気付かせてもらうとき、大きな幸福感に包まれます。教師っていいものです。

(秒刊サンデー:わらびもち